野球小僧の独り言    〜元・阪急戦士のマスターズリーグ記録〜  【04.2.15 TVO】



【小林 敦美】
1984年5月28日 プロ初登板を初完封で飾った小林敦美 しかし、彼のプロ野球での勝利はこの1勝で終わった。プロ生活は5年、引退して14年経つ。
現在42歳の彼は、故郷の山口県でサラリーマンとして第二の人生を送っている。
不規則なシフト勤務の中、トレーニングを続け、昨年は福岡ドンタクズ、今年は大阪ロマンズのテストに合格した。
しかし、初登板の大阪ドームでの名古屋エイティデーザース戦では結果を残すことが出来なかった。 


小林の結婚はプロ引退後。妻や子供は彼の勝利を知らない。家族に格好良いところをみせたいという小林は6年前に年齢を偽って広島のテストを受けようとしたことがある。まさかの現役復帰はならなかったが、猛練習でマスターズリーグのセレクションに合格した。
家族を招待した福岡では出番のなかった小林だが、札幌で1イニングをぴしゃりと抑え来期に期待を繋いだ。
サラリーマン生活にささやかな夢をもたらしたのはやっぱり野球だった。


【白石 静生】
白石静生は広島入団後阪急に移籍。1978年のヤクルトとの日本シリーズ第6戦で完投で勝利投手になった。プロ生活16年、通算93勝。
現役引退後の白石は故郷の徳島でサラリーマンや飲食業を転々とした。今は警備会社で働くかたわらシニアリーグの指導者として、こどもたちを教えている。
ネームバリューと実績があれば推薦で参加できるマスターズリーグ。しかし、ブランクもあり白石は推薦されなかった。
59歳でマスターズリーグのセレクションを受験し合格、22年ぶりの球界復帰となった。


白石は雪の降る札幌遠征に、ガンで闘病生活中の妻・寿子さんを連れていくことにした。久しぶりの北海道旅行に大喜びの妻。
野球のルールもあまり知らないで結婚した妻は、20数年ぶりに彼のプレイを目にすることになる。
白石のマスターズリーグチャレンジは、恋女房との新しい絆を深めた事は間違いない。
札幌ドームの試合ではヒットは打たれたが1イニングを0点に抑えた。
現役時代はただ勝つことが目的だった。自分が投げる、その事を喜んでくれる人がいる、白石の第二の野球人生はこれからだ。


【福本 豊】
現在56歳の福本は現役時代、打って・守って・走れる史上最強の核弾頭だった。
その福本を2番バッターやコーチとして支え続けた大熊忠義(60歳)は、現役時代、前年3割という打率を残したにもかかわらず、不在だった2番バッターとして抜擢された。「いいスタートだったのに、何でファールしたんですか」と言った福本に切れた大熊は2番を降りると言い、上田監督はウイリアムスを2番に据えた。結果、福本は全く走れなくなり大熊に詫びを入れて2番に復帰してもらった。天狗になってはダメとわかっていた福本だが、知らないうちになっていたことを思い知らされた。

もう一人の忘れられない恩人、西本幸雄(83歳)は三遊間にゴロを打つ(足の速さを生かして率を上げる)練習をしている福本を叱りつけた。
「そんな打ち方をしてると早々に行き詰まる、毎年オールスターに出られる選手になれん、ツボに入ったらスタンドに放り込むようになれ」と。
このアドバイスは福本を史上最強の一番バッターにし、彼が長く活躍出来る原動力になった。


1988年最終戦、阪急ブレーブス最後の試合で上田監督は球団がなくなることの混乱からか、福本の引退を間違えて口走ってしまった。まだ、現役を続けるつもりだったが「しゃあない」と福本はあっさり引退してしまった。
現在福本は解説者として野球に関わっている。そして、神戸市にある養護施設の野球チーム・チーム神戸コスモスを現役時代から応援、日本身体障害者野球連盟の名誉理事を務めている。小柄でもプロでがんばり抜いた福本は彼らの励みになっている。
解説者、少年野球、障害者野球の指導、そしてマスターズリーグ…永遠の野球小僧は今もグラウンドを駆け抜けている。