塁間を駆け抜けた男 【3】
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王手から10試合足踏みも意外とあっけなく800盗塁

 日本プロ野球界に現れた数多くのスター選手の中でただ一人、「足で客を呼ぶ男」といわれたのが福本豊だ。プロ入り1年目の1969年(昭和44年)、シーズン開幕後間もない4月13日の東映フライヤーズ戦、代走で登場した福本は桜井憲−種茂雅之のバッテリーからプロ初盗塁。「西宮球場やったな。よく覚えているわ」。球界に‘偉大な足跡’を残す第一歩を踏み出したそのときのスパイクの底に伝わってきた心地よい感触は、いまでも鮮明に残っている。
 しかし、塁に出れば必ず走ることを義務づけられることから、相手バッテリーだけでなく、プレッシャーという目に見えない強敵との闘いが続いた。
 80年8月25日の日本ハムファイターズ戦で通算799盗塁に成功。開幕から順調に走り続け、盗塁数はすでに42個に達していた。球団関係者は大慌てでメモリアル記録達成を祝うセレモニー準備に入った。ところが、大台達成を前に、本人も予想もしなかった苦悩の日々を送ることになる。
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塁にでてもスタートが切れない。自分の判断でいつでも走っていい_という首脳陣の絶大な信頼がさらに焦燥心をあおる。「走れ!福本」。心の励みにしてきたスタンドのファンからの声援が、ふがいない自分に対するヤジに聞こえたこともあった。それまで徹底マークをかいくぐって勇猛に塁を奪ってきた駆武者の表情が日に日に険しくなっていった。
 余談になるが近鉄の永渕洋三が水島新司のマンガ『あぶさん』の主人公になったように当時のパ・リーグには酒豪選手がずらりとそろっていた。なかにはネオン街からそのまま球場に直行、打席で酒のにおいをプンプンさせながら快打を連発して豪傑もいた。
 しかし福本は、どんな酒宴の席でも適度のビールかワインしか口にしなかった。体調管理を優先させてきた男が、連日続く眠れない夜に耐えられず、酒に救いを求めた。ときには明け方までウイスキーを痛飲したこともあった。
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 王手をかけてから10試合連続盗塁ゼロ。こんな長い間、足踏みしたのは、もちろんレギュラーになって以来はじめてだった。「区切りの盗塁は完璧に決めんとあかん。そんなプレッシャーもあったんやろね」。持ち前の職人気質が思わぬ足かせになったのかもしれないが、そんな苦悩がまるでウソのように、記録達成の瞬間は意外にもあっけなかった。
 9月13日、日生球場での近鉄戦、一回いきなり中前安打で出塁。2番簑田浩二の送りバントで二進した後、さらに一、二塁とチャンスが広がった。しかし後の打者が続かず、すでにアウトカウントは2。ベンチは打席に入ったボビー・マルカーノのバットに期待した。
 「この場面では走ってこんやろ」。すっかり安心して打者に集中していたマウンドの井本隆が、あっと息をのんだ。マルカーノに投じた初球のカーブが指先から離れたとき、すでに福本は二、三塁間の真ん中を走っていた。完全に意表を突かれた捕手の梨田昌崇は、悠々と三塁ベースに滑り込む姿をただ呆然と眺めるしかなかった。予想もしなかった盗塁に三塁ベースの石井晶も一瞬、祝福の握手を忘れるほどだった。
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 「あまりにも簡単にできて、自分でもなんかあっけなかったわ」。試合後もまだ800盗塁の大記録達成を実感できない福本は、「マルカーノの1球目は変化球、とくにカーブで攻められるパターンが多かったから、つい言ってしもたんや」とその瞬間を振り返った。つまり相手バッテリーの配球に対する鋭い読みが、金縛り状態となっていた足を動かせたわけだ。
 いまでも日本球界に燦然と輝く王貞治の868本塁打、金田正一の400勝、張本勲の3085安打に並ぶ1065盗塁の大記録を支えたその天才的な頭脳は、思わぬところから生まれた。

(03.2.18) 産経新聞SPORTS EXPRESS/ あの瞬間  西井禎一