【5】 球界12年 言わせてもらいます
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オリックス前代表 井箟重慶さん
聞き手 村上敏彦記者

イチロー放出、合理的だったが…

 村上: 日本のプロ野球選手が米大リーグ入りするための新制度として日米間選手契約協定(ポスティングシステム=1998年12月調印発効)の導入がありました。その推進役が井箟さんでした。

 井箟: 当時、私がたまたま(プロ野球実行委員会が設置する)国際関係委員会の委員長をしていて、この問題を担当することになったんです。日米間の選手の交流に関する具体的な取り決めがなかったので、米国側との話し合いでFA(フリーエージェント)権がなくても入札方式で大リーグに行けるシステムをつくったんです。

 村上: 制度導入の引き金は、伊良部秀輝投手(現阪神)がロッテからヤンキースへ移籍した際のトラブルでしたね。

 井箟: 野茂英雄(現ドジャース)が近鉄からドジャースへ移籍したときも、近鉄の保有権などをめぐる問題が起きたが、伊良部の場合は大リーグ側がクレームをつけてきたんです。

 村上: それはどういうことですか。

 井箟: 伊良部はいったんパドレスと契約して、すぐさまトレードの形でヤンキースへ移籍したが、ロッテはパドレスと業務提携をしていた。球団数が日本の十二に対し大リーグは三十以上だから、全球団が日本の球団と業務提携するわけにはいかない。「業務提携している球団だけが日本選手を獲得できるのはおかしい。何かいい方法はないか」と持ちかけてきたのは米国側でした。いかにも公平性を重んじる米国流の考え方ですよ。

 村上: 全球団に入札の権利を与えるシステムが制定されたわけですが、その適用第一号がなんとイチロー(二千年十二月、マリナーズに移籍)でした。

 井箟: イチローが大リーグ行きの希望を私に言い始めたのは入団五年目あたりからでした。八年目の九九年、マリナーズの春季キャンプに参加させたが、これには大リーガーのパワーを目の当たりにすれば、あきらめるだろうという私の思いが込められていた。ところが、イチローは逆に「この程度なら自分でもやれる」と自信を持ち、しかも日本に比べて自由な雰囲気の米国を好きになって帰ってきた。こちらの読みが外れてしまったんです。

 村上: イチローの放出はすんなり決まったんですか。

 井箟: (就任二年目の)岡添球団社長が放出を打ち出し、私と仰木監督は反対でした。岡添社長は「野球は投手力の勝負だし、野手の代わりはいる。イチローは故障やケガで二年続けて欠場もしている」と自説を唱えていた。強力な外国人を獲得する手はあるが、イチローの代わりがいるわけがない。
 
 村上: マリナーズが落札し、オリックスには十四億円(推定)の譲渡金が入りました。

 井箟: 一年後、FA件を取得したイチローが権利行使で大リーグに移籍すればオリックスには一銭の金も入らない。ソロバン勘定では合理的な放出ということになるが、出すからには戦力的に大きな穴を埋める覚悟をしておかなければならない。球団に一番必要な計画的なチーム作りという面でも、なんとも痛い損失でしたね。


(03.8.29) 産経新聞