野球【】 校庭と球場は地続きだった
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居場所なくした“おっさんたち”

 「おい、カズ、まゆ毛と一緒にバットも忘れてきたんか!」「その顔は投手ビビらせるためにあるんとちゃうんかい!」。
昭和五十年代初めにかけて「万年Bクラス」にあえいだ晩年の南海ホークス。閑古鳥の鳴く大阪球場で、当時の外野手山本和範(カズ山本)=(48)=は、その“コワモテ”の容姿も手伝って観客のヤジを一身に浴びていた。
 「客が少ないから全部丸聞こえや。腹も立ったけど、よううまいこと言うなあって感心することも多かった。あまりにおもろくて試合中に吹き出したこともあった」
 すり鉢状で傾斜のきつい大阪球場の観客席。ただでさえ選手とファンの距離は近かった。それはヤジだけではなく、
野球というスポーツを純粋に見るための絶好の場所でもあったという。
 「南海ファンやもん」などの作品があるミュージシャン、野本有流(47)は、大阪球場に集まる野球ファンの“質”の高さにいつも驚かされていた。決して紳士には見えない。ダミ声の泉州弁や河内弁で怒鳴りまくる。それでも野球を見る目は肥えていた。
 「こら、ワレ、野球以外で腰使いすぎじゃ、ボケ!」。一塁側内野スタンドの端で、いつも同じ席に座ってヤジっていた
おっさんは、実は打席に立つバッターを常に同じ位置から眺めるためにそうしていた。ある日、おっさんは、こう話してくれたという。
 「あいつの調子のええときのファームなら、この席から背番号が見えたらあかんのや。今日は半分も見えとる。先週ぐらいからおかしいんや。なんとかしたりたいんやけどな…・」

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 野本は、南海ファンである以上に「野球ファン」だったという。小学生の時、親戚のおじさんに初めてつれてきてもらった大阪球場。都会の真ん中に浮かぶナイター照明、まぶしいばかりの天然芝。そして初めて聞いた硬式ボールの打球音…・生で見る野球の迫力と美しさに圧倒された。
 当時は、現在のような鳴り物の応援はどこの球場でも一般的ではなかった。ミットやグラブにボールがおさまる乾いた音まで聞こえるのが当たり前だった。が。いつしかそうした場所は、一部の不人気チームの本拠地に限られるようになった。
 南海ファンの漫画家、中島宏幸(48)も、「最も試合の流れがわかりやすい」という一塁ベース上段の内野席を“自分の指定席”と勝手に決めて大阪球場に通った一人だった。高校時代は、野球みたさに売り子のアルバイトもした。何より、そうした場所で、おっちゃんたちのうんちくを聞いたり、舌戦の妙を楽しむのが好きだった。
 中島は言う。「甲子園の外野席で、満員の観客と一体感を味わう野球があってもいい。ただ、大阪球場のように純粋に野球を楽しむ場所も必要だった。それが大阪の野球文化の一つであったと思う」
 だが、晩年の南海主催ゲームは、年間入場者が百万人を超えたことは一度もなく、ここ数年の近鉄バファローズよりも少なかった。「コア」な野球ファンは、組織だって応援を盛り上げるわけでも、グッズを買うわけでもなく、球団の経営者側にとっては、それほど必要な人たちではなかった。

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 「行ってまいります…」。六十三年十月十五日。ダイエーに買収され、九州移転を控えた南海ホークスの本拠地最終戦。試合終了後のセレモニーで監督の杉浦忠(故人)はファンに、こう別れのあいさつをした。今年九月の近鉄のホーム最終戦と同様、この日だけ球場は満員になった。
 先発メンバーからはずれた山本は、杉浦に直訴して八回表の守備から途中出場した。世話になったファンに最後の雄姿を見せたかったからだ。だが、いつもヤジを飛ばしていたおっさんたちの姿を満員のスタンドから捜すのは難しかった。
 山本は振り返る。「あれだけ身近な存在だったのに、考えてみれば名前すら知らなかった。おっさんらすまんな、わしら九州行ってしまうんや。でも野球は好きでいてや…。そんなこと思ってたら涙が止まらんようになった。試合中から、じゃじゃ泣きでしたわ」
 南海が去り、同じ年には阪急ブレーブスもオリックスに買収された。そのオリックスブルーウェーブも近鉄と合併し、
かつて四球団あった関西のチームは来シーズンから二つしかなくなる。
 野本は現状を憂いつつ、こう話す。「甲子園のように参加の仕方が一つだけの野球で本当にファンは満足しているのか。あの騒々しさの中では、打球の音どころか、試合の駆け引きすら落ち着いて楽しめない。僕は、大阪には、野球が好きで好きでたまらないのに居場所を失った人がたくさんいると思う」
 大阪はいつから「阪神タイガース一辺倒」の街になったのか。

=敬称略
(皆川豪志)  04.10.15 産経新聞