野球【】 校庭と球場は地続きだった
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巨人あっての阪神、東京あっての…

  「ほんまは、これ、はずしたいんですわ…」。大阪・難波で四十数年来、居酒屋を営む老店主(69)は、店の壁にかけられた阪神タイガースのカレンダーを眺めながら、そうつぶやいた。かつて大阪球場があったころ、一帯の商店主や住民の多くは南海ホークスのファンだった。もちろん、この店主もそうだった。
 「そりゃあ阪神が巨人に勝ったらうれしいけど、その程度。でも今のお客さんは違う。南海なんて知らないし、近鉄ファンもあまり聞かない。阪神、阪神です。阪神ファンやないと大阪人やないようなことまで言われて、食ってかかられることもある。四十年もミナミにおる僕にですよ。カレンダーはそのための魔よけ、話を合わせるための客寄せですわ」
 かつてこの店は大阪球場のナイター帰りの客でにぎわった。店に寄った選手からは必ずサインをもらい、一緒に写真を撮って壁に飾った。だが、そうした思い出も、今は段ボール箱に詰めて隠してしまったという。
 「大阪の私鉄沿線文化が失われつつある」。鉄道会社を母体とする関西球団の相次ぐ消滅について、そう述べた関西大学社会学部教授の永井良和(44)は、さらにこう危惧した。
 「かつてはタイガースも、阪神電車沿線の地域球団にすぎなかった。現在のようなマスメディア主導の過剰な人気は、大阪の多様な野球文化を完全に無視している。阪神ファッショと言ってもいい」

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 今やセ・リーグの雄として全国的人気チームになった「阪神」。一方で身売りや合併などで球団設立時の原形すらとどめられなくなった「南海」(現ダイエー)「近鉄」「阪急」(現オリックス)の関西パ・リーグ三球団。だが、四十年代後半から五十年代にかけて南海、阪神の両球団でプレーした野球評論家の江本孟紀(57)は、その違いを「テレビの全国中継のある巨人と戦えるか、戦えないかだけ」という。
 「じゃあ、セの中の違いは何かというと、巨人かそれ以外かです。視聴率が低迷したとはいえ、プロ野球は『巨人一座』という興行の域をいまだに出ていない。阪神は一座の中で主役を盛り上げる名脇役になれたが、パの三球団は舞台にすら立てなかった」

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 昭和十年。「東京巨人軍」に次いで、「大阪タイガース」の名前で発足した阪神。だが球団史などによると当初、「ライバル」と呼ばれたのは巨人ではなく、親会社が同じ阪神間に路線を持つ阪急だった。巨人の存在が大きくなるのは、
二十五年の二リーグ制以降であり、実際にファンが広がり始めたのは家庭にテレビが普及した四十年代に入ってからだという。
 今では考えられないことだが、阪神が十五年ぶりにペナントレースを制した三十七年は、優勝決定戦の広島戦でさえ、五万人収容の甲子園に詰めかけたファンは二万人にすぎなかった。「天王山」とされた九月の日曜日の大洋戦もわずか一万数千人。満員になったのは、この年四位に終わり優勝争いとは全く関係のない巨人戦だけだった。
 その後も巨人が全盛期を迎えた四十年代の「V9時代」に歩調を合わせ、甲子園は順調に観客数を伸ばしていった。

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 「大阪人は、なかなか勝てない阪神だからこそ愛着がある」「その阪神が優勝したのだから、大騒ぎするのは当然」…。そんなステレオタイプの「大阪論」「大阪人気質」は、プロ野球七十年の歴史からみれば、決して古くからあるものではなく、むしろここ最近の傾向にすぎない。
 実際、南海が、西鉄と並んでパ・リーグ二強と呼ばれた三、四十年代は甲子園よりも大阪球場が客足を伸ばした時期もあり、五十年代に度々日本一になった阪急の西宮球場の観客数も甲子園を上回ることが何度もあった。大阪のファンは強い野球を求めていないわけでも、多様性がないわけでもなかった。
 江本は、「勝てない」ことすらメディアがはやし立てる阪神についてこう語る。「南海時代は『アンチ巨人』よりアンチ阪神だった。同じ関西の中で、こちらがいくらいい野球をしても、セ・リーグというだけで新聞もテレビも注目する。僕らから見れば、阪神だって一つの権威でしたよ。『反権力』『アンチ巨人』の大阪だからこそ、もっとパ・リーグを大事にしてほしかった」
 かつて、阪神の球団幹部がこう話したのは有名である。「巨人に競り負けて二位がベスト。優勝したら金がかかる…」。そうしたプロ野球界の矛盾は、今回の球団再編問題でも、「巨人戦」という人気カードの奪い合いとして露呈した。
 江本はこう続けた。「巨人という言葉を『東京』と置き換えれば、まるで今の停滞した大阪を象徴しているようにも聞こえる。相手の手のひらで一喜一憂したあげく、負けてもいい、二位でもいいなどとうそぶく。そんな『阪神的な空気』が大阪を覆っているような気がする」

=敬称略
(皆川豪志)  04.10.18 産経新聞