野球【10】 校庭と球場は地続きだった
                                                                  >>Next
「ファンのため」どこへ…

  一兆円を超える負債を抱えて自主再建を断念した大手スーパーのダイエー。一方で、その球団は今や、福岡の市民にとってなくてはならない存在になった。観客動員数は年間三百万人を上回り、毎年優勝争いを繰り広げるパ・リーグの雄。ダイエーホークスは、「万年Bクラス」に泣いた南海ホークスの昭和六十三年の買収から、わずか十年で、全く別の
チームに生まれ変わった。
 「僕らはだれに野球を見せているのか。だれのために野球をやっているのか。そんな当たり前のことを本気で考えさせられたのは、福岡に行ってからやと思う」。近鉄、南海、ダイエーの三球団で外野手としてプレーした山本和範(カズ山本)=(46)=は振り返る。ダイエーは徹底したファンサービスを打ち出した最初の球団でもあった。
 山本によれば。ダイエーでは、試合前や試合中に球団職員が必ずベンチを訪れ、その日の観客の様子を選手に伝えていたという。これまでのチームでは客の入りすらだれも教えにはこなかった。だが、それ以上に球団側が選手に伝えたかったのは、球場にいる子供たちのことだった。
 「カズさん、今日は鹿児島の少年野球の子供たちが観光バスで百人来てます。ライト側にいますから、ホームラン頼みますよ」「きょうは福岡の障害者施設の子供を招待してます。目の見えない子もいるので、できるだけ大きい声を出してください」…。

********************************************************************************************
 一試合の放映権料が一億円といわれる巨人は別として、他のプロ野球チームは収入の大部分を入場料に頼っている。それでもダイエーのように三百万人の観客があれば、チケットの平均単価を一枚二千円としても年間六十億円になる。
 南海が身売りした当時抱えていた赤字は年間三十億円、今年、近鉄が明らかにした赤字は四十億円だった。球場を訪れるファンは本来、選手や経営者が最も大切にすべき存在なのである。
 平成八年、ダイエーから再び近鉄入りした山本は、久しぶりに戻った藤井寺球場の現状に愕然とした。スタンドがガラガラでも、声援が少なくでもだれも気にしない。将棋や焼き肉をしている客がいても、見て見ぬふりだった。山本はこう思ったという。「客席がもったいない。それなら毎回子供たちに無料開放すべきや。その子らがファンになって将来、金を払って見に来てくれれば元はとれるやないか」
 実際、ダイエーにはそうした戦略もあった。球団設立当初は採算を度外視して、試合のチケットを市民に無料配布した。球場を訪れた子供には毎試合、球団グッズをプレゼントし、最初の四年間で配られた鷹のマスコットマークの帽子は
六十五万個にも及んだ。現在、Jリーグのチームが行っているファンクラブ全会員へのユニホームプレゼントも、最初に始めたのはダイエーだった。
 福岡の年配者には、かつて本拠地のあった西鉄ライオンズの影響で西武ファンも多かったが、子供には関係なかった。観客動員数が初めて三百万人を超えたのは球団設立から十三年目の平成十三年。帽子をもらった子供たちが、ちょうど大人になったころだった。

********************************************************************************************
 大阪から消えた南海と近鉄がそうしたファンサービスに熱心だったかどうかは疑問が残る。スポーツライターの小関順二(51)は「経営が苦しいのなら財務を公表して、もっと球場に来てほしいとアピールするのも一つのファンサービスだった」と話す一方、選手側にも注文を出した。
 「今回の球団合併やストライキの問題で、多くの選手が『ファンのために』と口にした。だが、子供たちがサインや握手を求めても知らん顔という場面はいやというほど見てきた。彼らが考えを改めない限り、同様の問題は再び繰り返される」。小関があげた選手の実名の中には何億円もの年俸をもらっているスター選手や、当事者である近鉄の選手もいた。
 山本が二十三年間の現役生活で行き着いたファンサービスも、結局そこにあったという。「僕らからみれば、百三十試合の一つかもしれない。が、お客さんは、それが人生で最初の野球観戦かもしれん。ましてや子供たちは選手に頭でもなでられたら一生覚えてる。その子が野球好きになってプロを目指してくれたら、こんなにうれしいことはないんですわ」。
 今、仙台は十七年前の福岡と同様、新球団の設立に沸いている。が、当時、超優良企業だったダイエーの現在の姿はだれも予想できなかった。大阪からすべての球団がなくなるとも、誰も想像していなかった。そしてファンはいつも最後に結果だけを知らされる。
 昭和六十三年十月の新聞には、南海と阪急の身売りについて当時の近鉄会長のこんな発言が載っていた。「こうなったら一社だけでもがんばらなあかん。ファンのため、関西活性化のためにも絶対球団は売りません。安心してください」

=敬称略
(皆川豪志)  04.10.20 産経新聞