野球【11】 校庭と球場は地続きだった

“一万回の失敗”許す街

  大阪府堺市の新日鉄グラウンド。薄暗い街灯の下で、黙々とバットを振る若者たちがいた。米大リーグ・ドジャースの野茂英雄(36)が今年一月に設立した野球チーム「NOMOベースボールクラブ」。メンバーは十八才から三十才までの二十八人。練習時間は夕方から深夜まで。昼はコンビニや運送会社でアルバイトする選手がほとんどだ。
 仕事と野球の両立は並大抵ではない。チームからの報酬があるわけでもなく、選手の平均年収は二百万円にも満たないという。それでも彼らが野球を続けるのは、かつて社会人や大学、高校野球のチームに所属しながら、さまざまな
理由で居場所を失った者ばかりだからだ。
 チームの合併、縮小はプロ野球界だけの問題ではない。十年前に二百近くあった社会人チームは不況による休廃部などで今や八十程度に落ち込んでいる。高校球児は過去最高の十六万人にもかかわらず、大学や企業で野球を続けられる選手は数千人にも満たない。そして。一握りのプロだけが、常識では考えられないような年俸を手にする。野球は
すでに、一部の特権的なスポーツになりつつある。
 「日本には才能のある野球好きの若者がいっぱいいる。彼らの受け皿が絶対に必要なんです」。二年前のオフに帰国した野茂は、社会人時代の新日鉄堺野球部の先輩でもある清水信英(46)にそう言ってチームの設立と監督就任を要請した。二人が過ごした名門チームですら平成六年、休部に追い込まれていた。
 清水は言う。「あの無口な野茂が一生懸命、自分の言葉で語りかけてきた。自分を育ててくれた故郷に恩返しをしたい、とも言った。日本の野球の危機を海の向こうで敏感に感じ取っていたのだと思う」

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 「南海ホークスがあったころ」などの著書がある関西大学社会学部教授の永井良和(44)は「野球経験を持って野球を見る人も少なくなった」と指摘する。打率が三割を超える難しさ、内角ぎりぎりで三振をとる集中力、いとも簡単に外野からホームに返球する強肩…。そうしたプレーのすばらしさは経験がなければ実感として伝わりにくい。永井はこう続けた。「子供から大人まで野球をする側と見る側の差が開きすぎた。野球人気を復活させるには、野球人口を増やすしかないと思う。それは結果的にプロを目指す若者たちのチャンスを増やすことにもつながる」
 野茂にしても決して「野球エリート」ではなかった。高校も強豪校ではなく、プロの声はかからなかった。注目を集め始めたのは新日鉄時代にフォークボールを覚えてからだった。三球団を渡り歩いた山本和範(カズ山本)=(46)=も
入団五年目で近鉄を自由契約になり、一時は池田市内のバッティングセンターで働きながら再び入団テストを受けて
南海入りした。いずれも大阪が生んだ「敗者復活」の選手なのである。
 野茂はかつて月刊誌「文藝春秋」でこう述べている。「僕が社会人野球にこだわるのは失敗ができる環境が絶対に
必要だからと思うからです。一回の失敗で学ぶ選手もいれば、一万回失敗してようやく花開く選手だっているんです。
そうやって成長していける場が必要なんです」

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 Jリーグはチームの数を増やすことで、底辺のサッカー人口を増やしてきた。一方でプロ野球界は、球団を減らす姿勢を平然と見せた。その主役はかつて「野球王国」と呼ばれた大阪のチームだった。わずか十年ほどで、大阪、日生、
中百舌鳥の三カ所もの球場を取り壊したのも全国でこの街だけだった。にもかかわらず、大阪ではいまだに他の地域より野球人気が高い。プロ野球中継の視聴率も常に関東を圧倒している。
 「大阪のファンはヤジも厳しいが、選手を育てる気風があった。敗者にも居場所のある街だった。大阪で開花した選手が多いのは、そうした土壌も影響している」。自身もドラフト外でプロ入りし、南海、阪神でプレーした野球評論家の江本孟紀(57)はそう話した上で、一つの提案をした。「大阪には志半ばで野球をあきらめた選手がごろごろいる。いっそ彼らのような選手を集めた独立リーグをつくってみてはどうか」
 プロチームも消えた。球場も消えた。それでも大阪には厚い選手層がある。熱心なファンもいる。何より「失敗を許す」
環境は、東京にはない。プロを目指す人、プロを辞めた人、純粋に野球を続けたい人…。かつての山本のように再びプロに戻る選手が現れてもいい。彼らだけのリーグは「野球エリート」ばかりになりつつある日本のプロ野球界に一石を投じるはずだ。
 江本は冗談交じりにこう話した。「日本の野球を変えるのは『岸和田ダンジリーズ』かもしれないし、『箕面モンキーズ』かもしれない。そんなチームがたくさん出てくれば大阪の街も変わると思う。野球好きが活気づくだけで、大阪はきっと
元気になれる」

=敬称略
(第4部おわり)

(皆川豪志)  04.10.21 産経新聞