【1】 小さな剛球投手 〜記録と記憶に生きて
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元阪急ブレーブス投手 山口高志さん
聞き手 村上敏彦記者

阪神優勝、うれしさ格別でした

プロ野球の阪神は昨年、十八年ぶりのセ・リーグ優勝を果たしたが、かつてアマ、プロ両方で関西に日本一の“復権”をもたらした野球選手がいる。現在、阪神の投手コーチを務める山口高志氏(53)である。昭和四十七年、エース投手で関大を十六年ぶりの大学日本一に導き、プロ入りした五十年には阪急(現オリックス)が初の日本一を達成する原動力になった。身長が百七十センチに満たない小さな大投手は、不屈のチャレンジ精神で記録と記憶の野球人生を歩んでいる。

 村上: 山口さんは昨年、星野仙一監督が率いる阪神の二軍投手コーチに就任して、いきなり優勝を味わいました。

 山口: 優勝は阪急、オリックス時代に選手、コーチで何度も経験しているが、阪神の十八年ぶりの優勝に巡り会え、うれしさも格別でした。二軍を担当していて、優勝が決まった日(九月十五日)はウエスタン・リーグの試合がなかったんです。午前中に甲子園球場で星野監督とファームの育成などについて話し合い、家に帰ってテレビで広島戦(甲子園)を観戦しました。周囲の人には「運のいい男」と言われましたね。

 村上: コーチに就任した阪神とは、それまで何か縁があったんですか。

 山口: 阪急時代、同い年で仲がよかった加藤安雄が倉敷商、明大を通じて星野さんの後輩。十数年前、評論家だった星野さんと加藤を介して一緒に食事をしたことがありました。オリックスでスカウトをしていた四年間も、指導者の意欲を持ち続けていたので、星野さんから「もう一度ユニホームを着てやろう」と誘われ、快く引き受けたんです。

 村上: 二軍コーチとして、阪神の若手に求めていることは。

 山口: プロ野球選手の心構えとしては。選手生活が八年と短かった自分の体験も踏まえ、悔いを残さないために精いっぱいの努力が必要なことを強調しています。人気球団の阪神の選手は、若手でもスポンサーついて苦労なく野球用具が手に入る。しかし実力の世界では甘えは禁物。ふだんから用具を大事にすることを求め、自分がグラウンドに出るときはスパイクをキチンと磨いて履くなど手本を示すようにしています。

 村上: 昨年は新人の久保田智之投手が五勝五敗の成績で優勝に貢献しました。

 山口: 「大きく育てよう」という星野監督の方針もあって、スタートは半ば放任のかたち。とりあえず細かい技術的なことは要求せず、実戦に対応する(走者を塁に置いた)セットポジションの投球フォーム確立に力を入れさせました。投手として長続きするためには、体のキレをよくする体力強化が必要だが、六月に一軍に上がり、予想以上に早く活躍できた。九月にヒジを痛めはしたが、短期間で結果を出せたのは潜在能力のすごさでしょう。

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[やまぐち・たかし] 昭和二十五年五月十五日生まれ。市立神港高から関大へ進み、関西六大学リーグ(現関西学生リーグ)で通算四十六勝など数々のリーグ新記録を作り、四十七年の全日本大学選手権で優勝投手。松下電器を経て
五十年、阪急入り。同年、十二勝十三敗一セーブで新人王に輝き、広島との日本シリーズでは大車輪の活躍で阪急初の日本一達成に貢献した。阪急、オリックスのコーチなどを経て平成十五年、阪神の二軍投手コーチ就任。


(04.2.2) 産経新聞