【10】 小さな剛球投手 〜記録と記憶に生きて
                                                                  >>Next

元阪急ブレーブス投手 山口高志さん
聞き手 村上敏彦記者

鶴田浩二、桂三枝さんらと交流

 村上: プロ一年目から華々しい活躍でフットライトを浴び、球界以外でも出会い、ふれあいの場が増えたんじゃないですか。

 山口: 新人で阪急が初めて日本一になった年(昭和五十年)のオフ、俳優の鶴田浩二さん(故人)との出会いがありました。関大のOBでもある鶴田さんが大阪で定宿にしていたホテルで、大学の校友会総会が開かれ、友情出演のかたちで歌謡ショーが行われたとき、ちょっとしたハプニングが起きたんです。

 村上: どんなハプニングですか。

 山口: 関大野球部の先輩で当時、阪急の監督だった上田(利治)さんと一緒に出席していたんですが、たくさんの人に囲まれましてね。即席のサイン会みたいになり、ショーが始まる段階になっても、会場がざわついていました。それでステージのそばでスタンバイしていた鶴田さんが「失礼じゃないか。オレは帰る」と怒り出して。みんながあわてて着席して、その場が収まったのを覚えています。

 村上: それだけ山口さんへの注目度、人気が高まっていたということでしょう。

 山口: あのショーをきっかけに鶴田さんが大阪の梅田コマ劇場で舞台公演するとき、あいさつを兼ねて楽屋を訪れるようになりました。舞台がはねて一緒に食事に出かけ、酒が入ると「貴様は…」などと兵隊口調になる方でしたが、心のこもった親身の助言をいただきました。「よいときは誰でもチヤホヤしてくれる。落ち目になっても変わらずつきあってくれる人を見分けなきゃいけない」と教えられたこともありました。

 村上: 食事をしたり、飲んだりしたのはどんなところですか。

 山口: 関大のOBが経営してる店など母校の関係ばかりでした。任侠映画の主人公で一世を風靡した大スターらしく、すごく義理人情に厚い方だなと思いました。

 村上: 同じ関大のOB落語家、桂三枝さんとも交流があったんですね。

 山口: これもつきあいが始まったのはプロ入り一年目でした。三枝さんが西宮球場でショーの司会をされたとき、阪急の試合があった西京極から帰り、一緒に大阪へ出たのが最初。その後、何度か食事をともにする機会がありましたが、酒もなかなか強い人でしたね。

 村上: いろいろ話を聞いたりして、印象に残っていることは。

 山口: 浮き沈みの激しい世界(芸能界)だから「ちょっとでも仕事を休むのは、すごく怖い」と言っておられました。毎日が勉強の積み重ねで自分が上昇していかないと、長続きしないということでした。こういう厳しさは、心身両面で常に向上心が必要なプロ野球の世界にも通じると思いました。

 村上: 球界では同い年で東尾修氏(元西武)とのエピソードをうかがいましたが、それ以外には。

 山口: 所属していたチームの選手仲間は別にして、僕は他球団の選手の友人は少ない方だと思いますよ。勝負の世界には私情は禁物。選手同士では、できるだけ親密な関係は避けるべきという考え方がありましたからね。

********************************************************************************************
テレビ番組への出演も多かった山口さん。芸能界の厳しさに学ぶこともあったという  ※(写真略)


(04.2.13) 産経新聞