【7】 小さな剛球投手 〜記録と記憶に生きて
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元阪急ブレーブス投手 山口高志さん
聞き手 村上敏彦記者

マウンド上からみた“鉄拳”

 村上: プロ入り当初から威力を発揮した山口さんの豪速球は高めの球でしたが、この高めは意識して投げたのですか。

 山口: 意識していたわけではなく、自然に高めへいっていた感じでしたね。学生時代は肩の強さに頼り、まだ下半身が十分使えていなかった。プロに入ってからはヒザで踏ん張って投げることを心がけていたのに、球が高めに浮き、四球が多いのも変わっていなかった。腕を精いっぱい大きく振り上げ、上から投げ下ろす投球フォームのせいじゃないですか。

 村上: 昭和五十年のパ・リーグプレーオフ阪急−近鉄第二戦で近鉄・羽田耕一が高めの球に手を出し、西本幸雄監督からビンタを受けたときの投手は山口さんでした。

 山口: 神部(年男)と先発で投げ合い、接戦の試合中に近鉄は円陣を組んだが、先頭打者の羽田は僕が投げたボールを空振りしてくれた。ベンチ前に呼びつけ、ホオに平手打ちを食わせた西本監督は「(ボールになる)高めの球には、
あれほど手を出すな、と言ったじゃないか」と怒鳴ったそうですが、あの回の羽田は先頭打者だから(打席に入る準備で円陣に加わらず)何も聞いていなかったんですね。

 村上: 近鉄監督就任二年目の西本監督はその前の阪急監督時代から若手には鉄拳を辞さない熱血指揮官でした。

 山口: 羽田が殴られたのはマウンドから見えました。プロ一年目でしたが、周囲から厳しいと聞いていた西本さんらしいと思いました。阪急で先輩の加藤英司さん(現オリックス二軍監督)は入団当時、合宿の門限は平気で破るなど大変なヤンチャぶりだったそうです。当時の片岡(博国)二軍監督が手を焼いたのに、一軍で預かった西本監督がちゃんと教育したことでも、その威厳はうなずけますよ。

 村上: あの試合は山口さんの完投で阪急が勝ったんですが、西本監督を怒らせる引き金になった高めの速球は当時、見送ればボール球という見方が多かった。

 山口: プロ入り当初、僕の球種はストレートとカーブの二つだけ。当時、ロッテの弘田(敬幸)ら小柄なバッターには上から叩かれて苦手にしていたが、たいていのバッターには高めのストレートが効果的でした。来る確率の高いストレートのタイミングで待っているから高めのボール球でも、つい我慢できずに振ってしまうんじゃないですか。

 村上: まだ球速をはかるスピードガンがない時代でしたが、阪急でチームメイトの山田久志投手(現評論家)は「高志の球速は百五十キロはある」と断言していました。

 山口: 三年ぐらい前だったと思いますが、テレビ番組で昔の速球投手の球速をビデオテープで計る企画があったんです。それを見て、いちばん速かったのは尾崎行雄さん(元東映−日拓)の百五十八キロ。僕は百五十四キロでした。

 村上: ストレート中心の真っ向勝負で印象に残っている強打者は。

 山口: パ・リーグで強烈に(バットを)振ってきたのはロッテのリー、近鉄のジョーンズなど外国人のホームランバッターです。一発パンチの怖さがある反面、打ち取ったときの爽快感が違うので、やりがいもありましたけどね。

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球速154キロのプロ時代を語る山口さん。紙一重の勝負の世界を歩いてきた  ※(写真略)


(04.2.9) 産経新聞