【8】 小さな剛球投手 〜記録と記憶に生きて
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元阪急ブレーブス投手 山口高志さん
聞き手 村上敏彦記者

悲願の日本一へ意地の連投

 村上: 阪急が悲願の日本一を達成した昭和五十年、広島との日本シリーズではフル回転で一勝ニセーブの大活躍でした。

 山口: 両チームの決定的な違いは、広島は初出場で阪急は六度目のチャレンジということでした。何度も苦杯をなめている先輩たちには「今度こそ…」の思いが強かったようですが。ぼく個人は少し違っていた。大学で日本一になっていたので、プロの日本シリーズではどちらかといえば、阪急の勝利よりも最高の舞台で自分の力を試したい気持ちのほうが強かったですね。

 村上: 大舞台を重圧にしない。それが五試合に登板して、すべて勝利か引き分けに貢献する超人的な働きに結びついたと言えそうですね。

 山口: シリーズが始まるまでは広島の評判が高く、戦力が上という声が多かった。そういう意味では阪急の意地を見せたい気持ちがあったが、シリーズは初体験だし、任されたマウンドでベストを尽くすのが最優先。先のことは考えず、
連投も周囲が思うほど苦にならなかったですね。

 村上: 登板した試合でいちばん記憶に残っている試合は。

 山口: 引き分けに終わった第四戦(広島)です。七回からリリーフで投げ、延長十三回表、球界を代表する投手の
外木場(義郎)さんから勝ち越しタイムリーを打ちましたからね。その裏、佐野(真樹夫)さんに同点タイムリーを打たれはしたが、それまで二敗(一引き分け)で苦しかった広島は、投手陣の軸だった外木場さんが先発で十三回投げて勝てなかった。これでシリーズの流れが大きく阪急に傾いたことでも、忘れられない試合です。

 村上: チームカラーが同じ赤の対決だったが、ファンがおとなしかった西宮球場に比べて、熱狂的な広島球場で戸惑いはなかったですか。

 山口: 広島はヤジがうるさいし、投球練習中のブルペンにもミカンの皮やタバコの吸いガラなどが飛んで来ました。
ムカッとしたが、嫌がらせは自分の存在感の証明とも思い、やりがいも感じました。チームカラーは阪急はくすんだ赤だが、広島は鮮やかな真っ赤。燃えるような色は(敵に対して)自分もカッと燃えさせてくれました。

 村上: 西宮で日本一を決め、最後を締めくくったのは救援の山口さんでした。

 山口: ぼくの場合、初体験のシリーズでチームに貢献して優勝できた満足感が大きかったが、長池(徳二)さんや
大熊(忠義)さんらの喜び方はすごかった。言葉にならないような叫び声を上げながら、顔をクシャクシャにしてましたからね。何度も挑戦してはね返され、夢がやっとかなった喜びの爆発だったんでしょう。

 村上: 新人で日本一を呼び込んだ山口さんは強運の持ち主ともいわれ、その後も運に恵まれた日本シリーズがありました。

 山口: 翌年の巨人とのシリーズでした。阪急の三勝二敗で迎えた第六戦(後楽園)は7−0のリードから先発のぼくとリリーフの山田(久志)さんが打ち込まれ、勝ち試合を落としてしまった。対戦成績はタイ。「(このシリーズで)阪急が負けたら、どうして大阪へ帰ろうか」と山田さんと相談していたら、第七戦で足立(光宏)さんが完投で勝ってくれた。自分の失敗が帳消しになって、うれしかったですね。

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昭和50年、阪急を日本一に導き、胴上げされる山口さん  ※(写真略)


(04.2.10) 産経新聞